また被災地にも、降っている。
暖かな陽の光と同じく、冷たく凍える雨も、みんなに等しく降り注ぐ。
山にも森にも川にも、草木にも、牛たちにも、犬や猫にも、そして、ひとにも。
神戸市獣医師会の市田成勝獣医師(56)の話 被災者にとって、犬の散歩や世話をする間だけでも、震災以前の生活に戻ることができるので、ペットと触れ合うことで癒やし効果はある。ただ、動物が身近にいることを嫌がる人もいるため、ペットが好きな人とそうでない人の避難所を分ける工夫が必要だ。
人間同士、気が置けない知人同士でさえ24時間一緒にいれば、時にストレスの元だ。
嫌いにな人にとっては他人のペットなど、居ると思うだけで鬱陶しいだけかも知れない。
だが、飼い主にとっては親、子供、兄弟たちと何ら変わりない、同じ家族。
人間なら電話などで連絡をとることも出来る。
離れていても、どこかで何とかやっていけると、そう信じていられる。
しかし、鎖に繋がれたまま置き去りにしてきた、そうしなければならなかった、自由のきかない、口のきけない家族達は、彼らの生命力の強さを信じるしかない。信じて祈るしかないのだろうか。
新潟県中越地震でエコノミークラス症候群とみられる症状で死亡した新潟県小千谷市*、主婦*(43)はペットの犬と過ごすため車中泊した翌朝、急死したことが近所の人などの話で分かった。鳴き声などがトラブルの元になるため、ペットは避難所に入れない。
一緒にいられないということが飼い主達にもたらすストレスは、嫌いな人が一緒にいなくてはならないのと同様に、大きい。
単なる溺愛ではなく、過保護でもない。
しかし現実は、辛い。
誰かが代わってやるだけでは、状況は変わらない。
一緒にいることで安らぎ、辛い現実に立ち向かう力となることも、少なからずあるはずだ。
つらいね。
誰が悪いわけでもない。
だからこそ、余計に辛い。
あの惨状からようやく逃れ、そしてまた先の見えない避難生活で、彼らを連れて生きて行くのは辛いだろう。
どっちにしても辛いのなら、一緒にいて辛い道を選べるように、選択肢の準備を急ぐべきだ。
「マリ。マリ」。自宅に着いた途端、男性*(83)が愛犬の名を叫んだ。避難前にドッグフードを山盛りにしたボウルは空。マリは尾を振って飛びついた。
<写真>
家を出る際、愛犬のテツコに「ごめんね連れていけなくて」と涙を流し、抱きしめた=29日午後、新潟県山古志村東竹沢で
動物たちは自然。人間達と違い、思惑や計算で動かない。
無垢な愛情と純粋さで、置き去りにされた事への恨み言など、何一つ無い。
だからこそ置いて行かなければならない辛さは、計り知れない。
再会した嬉しさと共に、もしかしたらこれが最後かと思いながら抱きしめたその身体は、やせていたことでしょう。
その温もりを忘れないように、しかし次に必ず会えるようにと、抱きしめながら祈った、その願いが叶いますように。
「家に残してきたペットが心配」-。新潟県中越地震で被災した避難者の中には、生活をともにしてきた愛するペットを自宅に残したままこんな不安を抱える人もいる。自宅に戻りたくても戻れない、多くの飼い主が抱える悩みを解決するため、県職員が孤立地区で発見したペットに対し、定期的に給餌活動を実施。備蓄していたペットフードを避難所でペットを飼う被災者に提供するなど、県は多角的な支援を進めている。
(時事通信) - 10月30日15時0分更新
みんな自分が生きていく、生き残るのに精一杯の状況だから。
避難所に連れてくる前に、再会出来ずに別れてしまい、もう会えない家族もいただろう。
あの時、あの状況では仕方がなかったと、彼らも分かってくれるよと、みんな言うだろう。そして、自分達もそう思おうとするだろう。
しかしやがて、眠れない夜が来るかも知れない。
辛い日々が去り、悪い冗談のように思えてきた頃に、それは大きなストレスとなるかも知れない。
そういった苦しみに耐えねばならない人が、これ以上出ることのないように。
そんなことにならないよう、いま、出来ることはやっておこう。
いままだ間に合う家族のために、私の出来ることなど知れたものだろうが、悲しい思いをする人を見て私自身が後悔しないためにも。
※上記引用に於いて住所*とお名前*を伏せるため、一部引用部分を編集しました。※