1月はお終い。
何だか寒い寒いで明けた2006年も、ボンクラしている間に一区切り付いてしまいました。
近頃はこれでも随分と落ち着いてきたようで、自分でも感心する程に正常に近い?精神状態を保っております。
2年前の12月-1月と比べたら、まるで別人のようだと自分でも思う程。
しかし相変わらず、私自身生きなくてはと藻掻いているものの、拭い切れないままの「死」を求める奇妙な感覚や、考えれば考える程に「生」へと帰着しない自分の存在意義とか、そういったある種の矛盾と思われるものがこびり付いたように、自分の頭の中で剥がれずに残っているわけです。
幸いな事に今年になってからはまだ大きな波に飲まれる事無く過ごしてはいるものの、調子が良いからなどと浮かれていると酷い目に遭う・・・いえ、結果として自分で自分を追い込んでいくのですから「酷い目に遭う」という表現は間違っているのですけれど・・・ともかく、「明日」の存在を疑うことなく今日を過ごす事が出来るのは、幸せな事だと思っています。
まあ難しげな言葉遊びはともかくとしても、あの見えない手で心臓を鷲掴みされるような苦しさやそれに伴う恐怖が、今は無い事だけでも嬉しいワケです。
「欲」とか「執着」などというモノを封じてしまうと、「生」が遠ざかる。
身に付いた「煩悩」を絶って、もう一つ外側の、おそらく上の方にある別の世界に近付こうなどと願うのは、とかく綺麗に見えて耳にも心地よい。
しかし、この一見腐敗にまみれ混沌を極める世界の外側に出ようとすると、あたかもその汚れを隠すかのようにして包む一見すると無垢な殻は刃物のように、薄っぺらな心の薄皮を、遠慮無しに引き裂こうとする。
悪鬼のようでもあり死神のようでもあり、しかし須弥山にて守護する天部のようでもあり。
何れにせよ、凡人には踏み入る事も、触れる事も、覗く事すら能わず、知りつつ描く不相応な望みを夢と認め、それを喰らいながら魂の肥やしとするのが相応しい。
何ンにつけ 一応は
絶望的観測をするのが癖です
「あした天気になれ」 詞・曲 中島みゆき
煩悩を懐一杯に抱え込んだまま、「夢など見ない」とうそぶいてやる。