先日から「ナショナルジオグラフィック<日本版>」で買いそびれていた物をまとめ買いしている。
「レンズは語る」とか「ワイルドライフ」とか、「専用ボックス」とか。
日本語版は日経BPで何時の間にやら楽天にナショナル ジオグラフィックShopなんぞも開いているんだけれど、やはり本家の'National Geographic'ほどの品揃え展開も日本語版写真集の迫力もなく、総合的には物足りない。
もう「ひと昔し*3」(!)も前の話になるだろうか、背伸びをしてLIFEやVOGUEに見入っていた頃は、写真を見る事も技術優先の見方だったような気がするけれど、ナショジオの写真の持つ魅力というのは、見る者に有無を言わせぬ存在感だろうか。
ピントだとか構図だとか、レンズがどうだとか絞りがどうだとか、そんな能書きなど全く不要な、真実だからこそ持ち備えている力に、あふれている。
もちろん基本的な技術に劣りもまた手抜きもないからこその仕業であるが、やはりそこにある真実の持つ存在感は、圧倒的である。
アーヴィング・ペン:Irving Penn [アート・フォト・サイト]も良いけれど、ジョディー・コッブ:Jody Cobb [National Geographic] の写真も負けず劣らずモードしている。
ナショナル・ジオグラフィックのフォトグラファーはガラスに自分の姿が写り込むことなども、必ずしも悪しき事とはしない。
気にしないのではなく、彼らの存在も含めて、それが事実だからである。
高感度フィルムのざらついた粒子も、埃っぽい発色も、美しい時を損なわない。
翻って、曲がりなりにも下手の横好きを自負する(?)私の撮る物と言えば、まあ、ありきたりの無難な、それでいてあまり他人様にお見せ出来るものではなかったりするのだが、そう言えば私だって何処かにNational Geographicの会員証があるはず。
もうちょっと、肩の力を抜いて、その分、気合いを入れて、撮ってみる事も必要ではないか、と。
考えて尽くせば不可能な事は無い。
だって、目の前にあるのは常に真実なのだから。