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2005年11月19日

助けて下さいと~千回血で書いた手紙

  [about me]

取り憑かれちゃったんかなぁ。

始まりは「死にたい」とかではなかった筈。
孤独とか、絶望感とか、虚無感とか、そんなものに押しつぶされそうで、あまりの苦しさに本気で泣き叫んでいた日々があって、そんな隙に、死が入り込んできたのかも知れない。
自分など・・・いてもいなくても変わらない→いない方がいい→ 死んだ方がいい→死ななくちゃ→ 早く死ななくては・・・
これでも抑うつ状態の初期の頃からすれば、だいぶ解放?された(以前と比べると、程度だけれど)と思う。けれど今でも、「死ななくてはならない」という思いだけが燻り続けている。

死を望んでいる自分がいて、それを否定する自分もいる。
自分の中で燻り続ける死への猛烈な渇望を否定しようとするのだけれど、導かれる答えは、死が正当な途であるという。

私の中で今、「生」は「死」の対比的概念でしかなく、積極的に求めるものではなくなってしまった。
それでも私はまだ、何故か、生きたいと願い続ける。

メールのフォルダに、書きかけのまま残っている文章があります。
2004/1/14 02時頃、何処かの誰か宛に、こんなことを書いていました。

なんだか、今とあまり変わらない。
もしかすると、今より冷静に自分自身を観察していたかも知れない。

暖房の効いた部屋で汗をかきながら震えています。自分でも何が起きているのよく分かりません。ちょっとしたことでボロボロ泣き出してしまいます。誰も悪くはなく全て自分のせいだと思いますが、誰かに助けて欲しいと思うのに、誰も助けてはくれません。それはきっと、誰も助けることが出来ないからだと思います。

虚脱感と絶望と恐怖と不快感が襲います。
夢と現実と妄想の区別がつかなくなる時があります。
それでもまだ自分があります。徐々に崩壊して行く自分を観察している自分がいます。
死んだりすることは無い筈なのに、このまま死んでしまうという気分に打ち勝てません。
最近、自分が大きな木に吊る下がっているイメージが浮かびます。まともな時にはそんなものはさして気にならないのですが、今はダメです。何処か高いところにある大きな木なのですが、気がつくと、その木を探してその通りにしなくてはいけない、などと焦っている自分がいます。
壊れて行く自分を見ながら誰かに助けを求めようと電話を掛けますが、誰も出てはくれません。自分は誰かを必要としているのに、誰も自分のことを必要とはしていません。いらない自分がここにいます。要らないのに居るのです。不要な犬やネコは回収するのに、何故不要な人間は回収しないのでしょう?

知らないところで誰かが私のことを話して笑います。駄目な人間だと笑っているようです。勿論妄想なのですが、分かっているけれど次第に他人が怖くなります。でも、話題になるならまだ良いかも知れません。きっと、その存在すら認知されていないのが本当のことだと思います。

 (タグがおかしいのでblockquoteやめて斜体にしました)

コメント (4)

anonymous:

空気を読まずに書きますが、『転生』お聴きになりました?
まだなら是非。

コメントありがとうございます。
『転生』聴いています、今も。
iPodにも入れて、時間ある限りのヘビーローテーションになってしまっています。
スタジオ録音の夜会サントラかとも思っていましたが、しっかりと作り込まれていて、気持ち良く裏切られました。
予期していなかった言葉の一つ一つが、心の中で渦を巻きます。
流れてくる言葉が、柔らかな流れの水から鋭い刃物へと姿を変え、刺さります。
みゆきさんには助けられっぱなしで、、、「命のリレー」の2コーラス目が、刺さりすぎて痛いです。

anonymous:

私もiPodに入れて聴いてます。
そして私も一年一枚を守るために惰性で作ったのかな、とか失礼ながら少し思っていたら、全然違いましたね。


> 流れてくる言葉が、柔らかな流れの水から鋭い刃物へと姿を変え、刺さります。
> みゆきさんには助けられっぱなしで、、、「命のリレー」の2コーラス目が、刺さりすぎて痛いです。

同感です。
大げさですが、人生には晴れの日も曇りの日も雨の日もありますね。
しかし、ふとそばを見るとみゆきさんがいて、きっと私のために、そしてあなたのために歌ってくれます。
しかも30年間休まずに!
これって本当に幸せなことだなぁと、私は感じています。


親愛なる者への言葉、私も好きです。
http://www.miyuki-lab.jp/disco/lyric/ba091.shtml

ありがとうございます。

主体性のないことで情け無いですが、私は今みゆきさんの「命のリレー」と、「サーモンダンス」の『生きて泳げ』という言葉に支えられ、勿論それは私のために歌われた言葉ではありませんが、その言葉を投げてくれた彼女の想いに応えるために、生にしがみついていきたいと思います。

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2005年11月19日 22:19に投稿されたエントリーのページです。

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