自分以外のことだと思っている人がほとんどなのかも。
自分が良くなれば世の中も良くなるんだと、何故そう考えないのか。
自分勝手なワガママだ。
MSN-Mainichi INTERACTIVE 水谷修先生の夜回り日記
第38回 マスコミに出たのは…
私はまず、彼を家に入れました。彼は、部屋に入るなり、私を怒鳴りました。「てめえは、きたねえ。俺たちみたいな罪を犯したガキだって、ちゃんと罪を償えば、もう一度幸せ求められるって、てめえは言った。俺は、それを信じて必死で働いた。でもな、三日前、会社で財布が盗まれた。みんなは、俺を犯人にした。前持ちだからって…。てめえ、俺たちをいい子にするなら、世の中もいい世の中にしろ!」
痛いね。
包丁で刺されるよりも、言葉で刺される方が痛いね。
しかし、恨むなら自分を恨むしかない。
世の中を逆恨みした所で、何が変わる?
みんな辛いよ。
我慢して、どこかで自分を殺して生きているんだよね。
「誰かが悪いから、自分が良くならない」というのは、やはり「逃げ」だ。
辛い中で歯を食いしばって、しがみつきながら生きるしかないじゃないか。
自分が良くなることで、世の中がほんの少し、小さな1歩だけれどもしかし着実に良い方向に向かっていると思うことだ。
もちろん自分が世の中を良くしてやろうなどと思い、若気の至りで勇んではいけない。
それは悲しく悲惨な結末を迎えることもあるから。
怒りは問題を解決するエネルギーにはならない。
逆に世の中を憂い、愚かな者達を哀れみ愛してやることだ。
哀れみは愛ではないかも知れない。
しかし、怒りにまかせて撃つよりは、余程マシだ。