あの"Riverdance"でのスパニッシュパートにおいて圧倒的な存在感を示したマリア・パヘスが、自身の舞踏団を率いて3度目の来日公演である。
2001年 "La TIRANA"(オーチャードホール)
2002年 "アンダルシアの犬","Flamenco Republic"(オーチャードホール)
そして、
2004年 "SONGS BEFORE A WAR","Flamenco Republic"(東京国際フォーラム ホールC)
待望の再々来日公演。しかも新作をひっさげて、それが完全版初披露というんだから、期待しないわけがない。
<2004/05/22 東京国際フォーラム ホールC 3階 4列 10番>
Riverdanceでは絶好調すぎたe+のプレオーダーが、残念な事に何と3階席の大当たり。(涙)
# 素直にテイト・コーポレーションで取れば良かったんだけれど、ちょっとどん底の底の泥の中に埋まっていたので・・・
「なんだよ、もっとキャパのあるホールでやってくれればいいのにぃ・・・」などと思ったものの、実際に入ってみるとこのホール、案外良い。
『3層構造で座席数1,502。最後列から舞台までの距離が約35m』との事で、比較的私好みのオーチャードホール(シューボックススタイルで死角がある事を除けば)と比べたら非常に小振りではあるものの、まずはホール内の空気が程良く乾いていて、濁りがない。
そして、(3階席だったせいもあるかも知れないが)「ホールA」ではいつもケチの付く音響も、ここでは相当良い具合にまとまっている。
サパテアードにしてもパルマスにしても、雑味の無い、透明感を伴った音がストレートに、とても綺麗に伝わってくる。
・・・Riverdanceもここで観たかったなあ。
あ、忘れないうちに書いておくけれど、カンテのアナ・ラモンが秀逸。
前回の時の感想は「それなりに味があっていいけれど、ちょっと掠れ気味で、、、」という程度でしたのに、恐らく今回が彼女の本領発揮なのでしょう。
深みがあって伸びのあるカンテは心地よく、素晴らしく心に響いてきます。
マリア・パヘスとは何か?
ひと言では・・・難しい。
表現者、革新家、伝達者、、、うーん、上手く言えないので巧い方の言葉を覗きに行くと、
「劇場で見せるフラメンコ」の作り手・踊り手として、彼女はたいへんユニークな存在
・・・なるほど。
さて、今回の来日公演で披露された"SONGS BEFORE A WAR"ですが、なんというか、もの凄いものを見せつけられてしまった気がします。
舞台の詳細はトラックバックさせて頂いたとんがりやまさんの所で詳しいので私ごときが今更なにをか言わんや、なのです。が、ネタにして書いている以上は僭越ながら感想だけでも記しておこうと思います。
イントロダクションに於いて、いきなりの見せ場。
(ちょっと待って、あの脚立は何?)
ダンサーたちによるサパテアードなのですが、これが実に格好良く決まります。
かなりタップを意識した作りというか、タップダンスのスタイルにも見えたのですけれど、近くで観ていた方はどう感じたのでしょう。
(追記:とんがりやまさん、コメントありがとうございます)
"La TIRANA"でも同様でしたが、幕開から舞台への導入が上手なのですね。
ダンサーたちが静かに舞台上に集まってきて、「何が始まるのか?」と思いながら注視している観客を見事に引き込んで行きます。
静から動への転換。
Riverdance を参考に得たものでしょうか?
しかし、Riverdance での導入部:"Reel around the sun"では降り注ぐ陽の光がダンサーたちの鼓動を呼び起こしていましたが、このIntroductionには外から注ぐものはありません。Reel,,, のような新たな覚醒も、明るさも無く、そこに見えるのは、内面から沸き上がる「熱」。この熱が次第にダンサーの鼓動を高め、強く、早く、爆発するするかのように加速します。
フラメンコのモチベーションである「魂」が、これからこのステージを支配するという宣言のようにも受け取れます。
以前と同じ構成と思われますが、前回の来日時に比べ舞踏団のダンサーたちが好印象。
進歩云々というより、安定感があると言った方が適切でしょう。
マリア・パヘスだけが突出しているといった事が無く、技術的にはバランスが取れていると思われました。ただ、彼女の得意とする緩やかに流れるようなバイレに対し、サパテアードは集団で見せる(聞かせる)、という作りのようで、ともすればコントラストが強すぎるかも知れません。
全体的にもサパテアードを多用している感がありますが、この辺りが、彼女が「舞台上でのフラメンコ」をどう見せるのか、という課題への答えなのでしょうか。
さてところで、個々の演目は素敵なのですが、楽曲に関する知識がないためか、全体の流れが体の中に「すぅー」と入ってこないんですよね。綺麗なバイレと小気味よいサパテアードに魅せられながら、どこかにフラストレーションが溜まっていく感じが・・・実はこれら一見まとまりのない演目のそれぞれがベクトルを持ち、やがて最後の"Imagine"(Audrey Motaung)に集約されていたわけです。
参りました。
ここ暫くの間は気が滅入るようなニュースばかり。
人間の愚かさを身に染み、己の無力さを嘆く、悲壮感を増大させるに十分すぎる話ばかりが否が応でも目には入るし耳にも届く毎日。事実は信じがたく、真実は遠く霧の彼方にある、絶望的な世界・・・
そんなことを思いながら聞いた"Imagine"だから余計、思い切り心に刺さりました。
パンフレットを見ると"SONGS BEFORE A WAR"は「戦前の歌」と訳されているようです。
スペインにおける戦前とは内戦の前を指すわけですが、マリア・パヘスはそんな懐古趣味でこの舞台を作り上げたのでしょうか?
もちろん、古い時代における人々の在り方を振り返って、「置き忘れてきた大切な何か」を取り戻そうというメッセージはあるかも知れません。
しかし、"SONGS BEFORE A WAR"が「戦いの前の歌」ではどうでしょう。
人の顔など見えない遠くから、スイッチ一つ押すだけで、何十人、何百人が死んでしまう。
何十人を思う悲しみは、やがて終わり無き憎悪を繰り返す。
殺す側は、そこにある筈の悲しみや恐怖、憎しみなど感じる必要はなく、そこにあったはずの笑顔についても知る必要がない。
「その武器を手に取る前に、言葉を交わしましょう」
「その武器を手に取る前に、手をとって踊りましょう」
「その武器を手に取る前に、歌を歌いましょう」
"SONGS BEFORE A WAR"で彼女は、そう言いたいのではないでしょうか。
「戦う前に出来ることは沢山あるのに、みんな分かっているのに、何故それをしないの?」
私にはそう聞こえました。
"And the world will be as one"
休憩前の客電は、出来ることならあと30秒落としたままにしておいて欲しかった。
2001年のニューヨークに於いて、ブッシュ米大統領の就任式典で披露された「フラメンコ・リパブリック」をこの休憩のあとに持ってきたのには、、、いえ、あまり深読みしない方がいいですね。
記:2004/05/24
20004/06/09:改訂、追記
20006/05/18:再編集
コメント (2)
TBありがとうございました。
あ、「戦いの前」か…。なるほど、その解釈の方が自然ですね。
> 休憩時間の客電は、出来ることならあと30秒落としたままにしておいて欲しかった。
そうそう、これは私も思いました。
冒頭のサパテアードは、演出こそタップ風味ですが、ダンスそのものは、やはりフラメンコのそれであったように感じました。
タップ風味の演出ってなんやねん、ってツッコミが入りそうですが(^_^;
投稿者: とんがりやま | 2004年05月25日 10:59
日時: 2004年05月25日 10:59
ども。
まあ、解釈はともかくとして、結論というか、伝わってきたものはとんがりやまさんと同じですよね。
サパテアードはやはりフラメンコでしたか。(変な言い方ですが)
やっぱり3階席は遠かった、、、
> タップ風味の演出ってなんやねん、ってツッコミが入りそうですが(^_^;
観た人は分かりますよ(^^)
それにしても私の文章、日本語がめちゃくちゃ。。。
恥ずかしいから(お客さんも少ないけれど)近日中に手直しします。
投稿者: Fujie | 2004年05月26日 00:02
日時: 2004年05月26日 00:02